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オリンピア遺跡
オリンピア祭壇

オリンピアはゼウス神の聖域であり、古代にはゼウス神に捧げた運動競技会が開催された。オリンピアが都市国家だったことはなく、競技会の運営は近隣の都市であるエリスが担った。上の写真に写っているのはヘラの神殿と祭壇。

オリンピアはアルフェイオス(アルペイオス、アルピオス)川とクラデオス川が交わる地点にあり、クロノスの丘の麓にある。この場所での宗教的な活動は前11世紀に遡ることが考古学的遺物から分かっている。

<情報>
現在の古代オリンピア遺跡は、遺跡そのものと博物館からなり、それぞれのチケットは6ユーロ、両方の共通チケットは9ユーロ(2009年夏現在)。


古代ギリシャ人にとってオリンピアの祭典はとても重要な祭儀であり、一週間に渡る祭典の開催期間には休戦協定が遵守された。また、オリンピア祭典の四年期は、ギリシャ人が年代を表現する際に用いられた。オリンピア競技での勝利は、勝利者にとっても、勝利者の出身都市にとっても大きな名誉だった。勝利者はオリーブの枝で作った冠を与えられたことは有名。オリンピアの祭典は、祭典が創始されたとされる776/5年からテオドシウス一世により廃止された393年まで、ほぼ千年に渡って途絶えることなく開催された。皇帝テオドシウス二世は426年、神殿を破壊することを命じ、フィディアスの仕事場と呼ばれる建物は教会に転用された。

古代のオリンピック競技は、ギリシャ語を話すギリシャ人のみが参加できる、ギリシャ人のための競技会であった。したがって、小アジア、シシリア、イタリアのギリシャ人は競技に参加することはできたが、ギリシャ語を話さない人々は、観戦できるだけで、参加はできなかった。また、女性の参加・観戦は禁じられており、祭儀の期間中、女性はアルフェイオス川を渡ることすらできなかった。ローマ時代には規則が変えられた。

オリンピアは前86年、ローマの将軍スッラによって略奪を受けたが、アウグストゥスの盟友アグリッパは神殿を修復した。ローマ皇帝ティベリウスは前四年、戦車競技に参加して、勝利を収めている。皇帝ネロは、自分が参加できるように祭儀の開催を二年遅らせ(69年の第211回オリンピア祭典)。ネロは特別に設けられた音楽コンテストと戦車競技で勝利したが、この記録は後に抹消された。

参考文献

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