ニコポリス Nikopolis
Nikopolis Top

古代末期の市壁

<所在地>ニコポリス、エピロス(エペイロス、イピロス)、ギリシャ

ニコポリスは、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(当時はオクタウィアヌス)がマルクス・アントニウスとクレオパトラの艦隊を破った、アクティウム(アクティオン)の海戦(前31年9)月2日での勝利を記念して、自分が陣をひいた場所の近くに建設した都市。ニコポリスという名前は、勝利を意味する「ニケ」と都市を意味する「ポリス」を合わせた言葉。住民は、アカルナニア、アイトリア、エペイロスなどから強制的に集められたらしい。アウグストゥスはまた、アクティオンで祝われていたアポロン神の祭をニコポリスに移した。

2004年の夏に訪れた時には、オデイオン、初期キリスト教バジリカ、アウグストゥスの戦勝記念モニュメントなど、多くの部分が閉鎖されていて立ち入ることができなかった。博物館に入るには入場料が必要だが、その他の遺跡は野ざらし状態。ニコポリスには質のよいモザイク床が多く残っているが、これらも砂がかぶせてあって見ることができなかった。

ニコポリス
ニコポリスの遺跡に行くには、車をもっている人以外、8km離れたプレヴェザから出発することになるが、プレヴェザのバス駅ではなかなか情報を得ることができなかった。市内にトゥーリスト・インフォメーションがあるのだが、私たちが行った時にはなぜか閉まっていた。バスの駅でなんとかチケット売りから聞き出した情報は結局間違っていて、かなりおかしな所で降ろされてしまい、炎天下を3キロほど歩かされる羽目になった。実際には、プレヴェザからアテネ、アルタなどに向かうKTELのバスは全て博物館の近くを通るので、このことを知ってさえいれば簡単にたどり着くことができる。
 なお、ニコポリスの遺跡である「アルヘア・ニコポリス」の他に、新興住宅街の「ニコポリス」と郊外型巨大ナイト・クラブの「ニコポリス」というものがあるので、「ニコポリス遺跡」に行くときには、必ず「アルヘア・ニコポリス」と言わないと、とんでもない所に連れてゆかれるので注意。

ニコポリスの古い建造物は、アウグストゥス時代に遡る。その費用の多くは、ヘロデ大王が負担したと言われ、興味深いことには、六世紀の帝国官僚で著述家であるヨハンネス・リュドスは、ヘロデ大王がアウグストゥスの名誉のため、ニコポリスを建築したと書いている(On Power, II. 46)。後128年には、ハドリアヌス帝がここを訪れる。当時、この町に住んでいたストア派の哲学者エピクテトスに会いに来たのかもしれない。ニコポリスは古代末期にもその重要性を維持し、五世紀から六世紀の間には頑強な市壁が建造された。少なくとも九世紀までは存続したことが分かっているが、十世紀にはブルガル人の侵入で衰え、住民の一部はプレヴェザへと移動した。現在は完全に廃墟となっている。

参考文献



copyright notice