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ナフプリオ
Nafplio
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 ナフプリオはアルゴス湾に面する都市。1829年から1834年の間には、トルコから独立した新生ギリシャの最初の首都、現在はアルゴリス県の首都。

 美しい町並みが保存されており、季節を問わずアテネからの観光客が集まってくる。一番上の写真は町の中心にあるシンタグマ広場。


ナフプリオのバス時刻表(英語)
http://www.ktel-argolis.gr/en/profile.asp

ブルジ
ブルジ

 ナフプリオの名前は、ポセイドンの息子ナフプリオスに由来するとされるが、ナフプリオス自体がナフプリオの名前にちなんで作り出された存在であるという説もある。

 ナフプリオスの子孫であるパラメデスはトロイ戦争に参加したが、裏切りを疑われて、同じギリシャ人に殺された。前625年頃、アルゴスとの戦いで敗北、主要なナフプリオ人がメッセニアに逃亡した。その後、ナフプリオの重要性は失われたらしく、パウサニアスが訪れた時には廃墟と化していた。
 次にナフプリオが記録に現れるのは中世になってから。ナフプリオの総督だったレオン・スグーロスは、1203年、アルゴス、コリントス、ラリッサを占領。しかし、1210年、ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンの手に落ち、アルゴスとともにオット・ド・ラ・ロッシュに譲渡された。1388年、ヴェネツィアがナフプリオを購入した。ブルジの要塞化はこのヴェネツィア時代に遡る(1470年)。何度かに渡る包囲船の末、1540年にはオスマン・トルコ軍に降伏した。1685/6年、ヴェネツィアがナフプリオを奪回し、アクロナフプリオの要塞パラミディを補強。しかし、ここを守ったヴェネツィア軍は手薄で、1715年には再びオスマントルコの手に落ちた。

 ギリシャ独立戦争では、ナフプリオはオスマントルコの要塞の一つだったが、テオドロス・コロコトロニスが1年の籠城戦の末に奪取した。ナフプリオは、頑強な要塞の故にギリシャ暫定政府の本拠地となり、1829年には、カポディストリアス首相が正式に首都と宣言した。1831年、カポディストリアスはナフプリオの聖スピリドン教会で暗殺されている。オットーがギリシャ王位についてからも1834年まではナフプリオは首都に留まった

 下に写っているのはナフプリオを見下ろすアクロナフプリアとパラミディの要塞。
アクロナフプリア(パラミディ) Antica Gelateria di Roma

 ところで、ナフプリオにはギリシャで一番美味しいと言われるジェラート(イタリアン・スタイルのアイスクリーム)の店がある。お値段は高めだが、いい材料を使っているので、何を食べても外れがない。

 シンタグマ広場の近くにある。住所は以下の通り。

Antica Gelateria di Roma
Farmakopoulon 3 & Komninou, Nauplio
http://www.anticagelateria.gr/

参考文献

Nafplio

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