レフカダ島
Lefkada Top

レフカダ島(古代名はレフカス島)は、日本人にとってラフカディオ・ハーンが生まれた島として有名。ハーンの父親はアイルランド人、母親がレフカダ出身のギリシャ人で、ラフカディオの名前はこの島に因んでいる。他方、「レフカス、レフカダ」という島の名前は「白い」という形容詞に由来するが、これは島の南部にある白い断崖からきている。イオニア海の島々は、エーゲ海の島々と比べると、水が豊富で、緑の多い所が多いですが、レフカダも例外ではない。

レフカダは島だが、本土と道路でつながっているため、バスで直接入ることができる。また、ケファロニア島とイタキ島からフェリーが出ており、島の西岸にあるニドリとを結んでいる。また、夏の間は、島の南部にあるヴァシリキにも停泊する。

上の写真はニドリの海水浴場。近くに、ギリシャの海運王で、ジャクリーン・ケネディーの二人目の夫となったアリストテレス・オナシスが所有していたスコルピオス島がある。現在、スコルピオス島は、オナシス家の唯一の遺産相続人である孫娘が所有しているが、ニドリのカフェでウエイターをしていた青年に聞いた話では、普段は誰も住んでいないらしい。


レフカダ(レフカス)島の歴史

 レフカスは、コルキュラ(コルフ)島より、一世紀ほど後の、前640年、コリント人によって殖民された。ペロポネソス戦争の際には、スパルタ側についている。前436年にはコルキュラ人が、その十年後にはアテナイ人が島で略奪行為を働いた。
 前230年、アカルナニア人がレフカス市を主邑とする。ローマとマケドニアのフィリッポスが戦った際、アカルナニア人はローマと同盟を結ぶことを拒んだ。
 ローマ時代もレフカス島は繁栄し、325年のニカイア公会議にはレフカス司教が出席している。
 十三世紀、エピロス司教ニケフォロス・コムネノスの娘マリアがジョヴァンニ・オルシーニと結婚した際、レフカス島は婚資としてオルシーニの手に渡った。
 1479年には、オスマントルコが島を奪取したが、その領有権は、ヴェネツィアとの間を行ったり来たりした後、1718年にはトルコから公式にヴェネツィアに譲渡された。また、十八世紀を通じて四回の地震の被害を受けた。

参考文献



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