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モネンヴァシア
Monemvasia
 ビザンツ時代、十字軍時代に繁栄した要塞都市。岬の先端を占めており、本土と岬は細い通路で結ばれていた(現在は二車線道路が走っている)。岬に至るにはこの道一本しかないので、ギリシャ語で「一つの入り口(モニ・エンバシス)」、ここから「モネンヴァシア」という名前がついた。英語ではマルムジー、イタリア語ではマルヴァシア、フランス語ではマルヴォアジーと呼ばれる。

モネンヴァシアの入り口
モネンヴァシアの町へと続く道
 中世の居住区は岩の上と下に分かれており、下には現在も人が住んでいるが、上の部分は廃墟になっている。下の町は岬の東部、つまり岬の付け根とは反対側に位置している。車で来る場合、橋を渡って、下の町の入り口手前の路上に駐車することができるが、駐車場が整備されているわけではない(右の写真の通り)。博物館を含め、入場料は無料。
 食事、宿泊をする場所は、モネンヴァシア旧市街の中にもあるし、岬の付け根に広がる新しい町ゲフィラにもある。


モネンヴァシアの歴史
モネンヴァシア、下の町の細い道
モネンヴァシア、下の町の細い街路
 この場所に大きな集落ができたのはスラヴ人がバルカン半島を南下してきた時代。ギリシャ人は防衛しやすいこの場所に移り住んだ。1147年には、シチリアから攻めてきたノルマン人の攻撃を撃退した。1249年にはギヨーム・ド・ヴィルアルドゥアンの手に落ちたが、ペラゴニアの戦いでミハイル・パレオロゴスに敗れたギヨームは三年間の捕囚生活の末、1262年、モネンヴァシア、ミストラス、マイナ(マニ)をミハイルに引き渡すことで解放された。モネンヴァシアはミストラと共に、ペロポネソス半島におけるビザンツ帝国の拠点となり、貿易基地としても栄えた。その後は、ローマ法王(1460-64年)、ヴェネツィア人(1464-1540年、1690-1715年)、オスマン・トルコ(1540-1690年、1715-1821年)が支配した。
ヤンニス・リツォスの家
モネンヴァシアの町にあるヤンニス・リツォスの家
 ギリシャ独立戦争時代、1821年4月に、ここで降伏したトルコ軍がギリシャ人に虐殺された。

 現代ギリシャの有名な詩人ヤンニス・リツォスはモネンヴァシアで生まれた。

参考文献

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