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マニ半島
Vathia, Mani
 マニ(マイナと呼ばれることもある)は、ペロポネソス半島の南部から突き出している三つの半島の真ん中の部分。中心を、タイゲトス山脈から続くカカヴーリアもしくはカコヴーナと呼ばれる山地が占めている。小さな集落が沢山あり、多くの集落は塔で守られている。上の写真は半島南部のヴァシアの風景。

Diros
マニ半島西岸のディロス湾。この下にディロスの洞窟がある。
 新石器時代から人が住んでいた跡があり、ミケーネ時代の活動の跡もある。その後、ドーリア人たちは小さな都市国家をいくつか建設し、スパルタの衛星国家になった。前三世紀にスパルタが没落してからは「自由ラコニア人連合」を結成し、ローマ時代、ペロポネソス半島がローマの支配下に入る中、アウグストゥスから独立を認められていた。

Small church of Mani
小さな教会

 九世紀、バシレオス一世(867-886)の時代までキリスト教を受け入れなかった。10世紀から12世紀にかけてはいくつもの教会が建てられ、繁栄が伺える。13世紀の半ばには十字軍が侵入してくるが、ビザンツに再征服されると繁栄を取り戻す。スラヴ人が攻めてくると、マニは孤立を強め、住民は部族を形成して守りを固める。沢山の塔が並び立つ独特の風景が形成されたのはこの時代以降。オスマン・トルコもマニを征服することはできず、地元の有力者に「マイナの太守」という称号を与えることで形式的に支配下に入れた。トルコからの独立戦争には熱心に参加し、「クレフテス」活動の中心地のひとつとなり、また、独立戦争の英雄の一人ペトロベイ(ペトロス)・マヴロミハリスはマニの出身だった。

参考文献

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