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エピダウロス
エピダウロスの劇場
 アルゴリスのエピダウロスはギリシャで最も保存状態の良い古代劇場でよく知られる遺跡。サロニコス湾沿いに位置する古代のエピダウロス市からは約七キロ離れた山の中にある。

 幾何学文様時代、この場所でアポロ崇拝が行われるようになる。もともと、マレアタスという英雄が崇拝されていたのだが、アポロはマレアタスと同一視されるようになり、アポロ・マレアタスとして崇拝された。このアポロ・マレアタス神の崇拝は、アスクレピオスの聖域がその麓に位置するキノルティオン山で行われた。神話上、アポロの息子とされるアスクレピオス崇拝がどのような経緯でエピダウロスにもたらされたのかは分からないが、碑文史料から、前五世紀前半にはすでに確立した崇拝となっていたことが分かる。エピダウロスの人々は、アスクレピオスがここで生まれたと主張し、後にはここに葬られたとも主張した。

Cat of Epidauros
エピダウロス博物館の横にいた猫
 前四世紀以前には、この聖域に大規模な建造物は存在しなかったが、前370年ごろからエピダウロス市民は聖域で大規模な建築事業に着手する。アスクレピオスは医療の神であり、ここには病人がたくさん集まってきた。奇跡の治癒は、病人が聖域で寝泊りする間に、神が彼らの夢に現れて病気を癒すという形を取った。このため聖域には、アスクレピオスを祭る神殿・祭壇の他、病人のための施設として、宿泊場、浴場があり、またここで祝われる祭りのため、劇場と競技場も造られた。

 アスクレピオスに捧げられた祭りはアスクレピエイアといい、四年ごとに、海神ポセイドンに捧げられたイストゥミア競技会(4月末に開催されたらしい)の9日後に開催された。祭りには、体育競技と演劇が含まれていた。

 エピダウロスはヘレニズム時代の王たちの庇護のもと発展を遂げたが、ミトリダテス戦争中である前86年、スッラはエピダウロスの聖域を略奪して財宝を集め、ミトリダテス側についたアテナイ包囲戦の資金に宛てた。

 ローマの支配下にあった二世紀の半ばには、小アジアの大富豪アントニヌスという人物が資金を拠出して、大規模な建築事業が行われた。

 名前が知られている最後の神官はムナセアスという人物で、三五五年ヒエロファントの地位にあった。聖域の入り口近くにあるキリスト教教会は四世紀の末頃に造られたと推定されており、ギリシャでは最も古い教会の部類に属する。この頃までに、アスクレピオス崇拝は廃れたものと見られる。

<行き方>
 公共交通機関を使って行くならば、ナフプリオからバスが出ている(アルゴリスKTELの時刻表参照)が、ほとんどの人はツアーか車で来るようである。人が住む町からは離れているが、遺跡の前にはカフェがある。一番近い町はリグリオで、パレア・エピダウロスやネア・エピダウロスの町はかなり離れた場所にある。
 2010年4月現在、入場料は6ユーロ。


Kavvadias
エピダウロス遺跡に立つカヴァディアスの胸像
発掘の歴史
 エピダウロスの発掘は、1881年、パナギョティス(パナギス)・カヴァディアスによって始められ、これは彼のライフ・ワークとなった。第二次世界大戦の後には、アテネのエコール・フランセーズも発掘調査を行った。


アスクレピオス
 ギリシャ神話では、アスクレピオスは、太陽の神アポロンと、テッサリアの都市トリッカの王フレギアスの娘コロニスの間に生まれた娘。コロニスが不貞をはたらいたため、アポロンの双子の姉であるアルテミス(もしくはアポロン自身)によって殺される。しかし、アポロンはこれを悔やみ、まだ母のお腹の中にいたアスクレピオスを取り上げて、ケンタウロスのキロンに託した。キロンはアスクレピオスに医療の知識を授け、アスクレピオスは優れた治癒者となった。

 この神話から分かるように、アスクレピオスは神と人間の間に生まれた「英雄」であって神ではなく、ヘラクレスのように、神々から神格を与えられたわけでもない。彼が神として崇拝されるようになるのは前五世紀頃のことなので、とても新しい神ということになる。

参考文献

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