
アッティカ半島の東南部に位置するブラウロン(現代ギリシャ語ではヴラウローナ)は、アポロンの双子の姉妹であるアルテミス女神の主要な聖域があった。遺跡には神殿が残っているほか、多くの出土品を納めた博物館が併設されている。
(左はブラウロン博物館の中に置かれている遺跡の復元模型)
アルテミスは狩猟の女神であるが、ブラウロンでは出産、若い女性や子供、家庭生活の女神として崇拝されていた。最も古い宗教活動の形跡は紀元前八世紀に遡り、前七世紀から六世紀にはすでに神殿が存在していた。前六世紀、ブラウロンはアテネの支配下に入り、アルテミス崇拝はアテネのアクロポリスに持ち込まれた。アテネは四年ごとに女性のブラウロン祭を祝い、アテネからブラウロンまでの行列行進が催された。
現在残っている遺跡は、ほとんどが紀元前五世紀から四世紀のものである。紀元前三世紀にも聖域は活動を続けていたらしく、ギュムナシオン、パライストラ、馬小屋に言及した当時の碑文が残っている。しかし、紀元後一世紀には放棄されたようである。
<イフィゲネイア崇拝>
紀元前五世紀には、アガメムノンの娘イフィゲネイアの崇拝もここに持ち込まれた。イフィゲネイアは、トロイア戦争を前にアウリスで、父アガメムノンの手で犠牲に捧げられたとされるが、ブラウロンに伝わっていた伝承では、イフィゲネイアが犠牲に捧げられそうになった場所はブラウロンであり、アルテミスがイフィゲネイアの代わりに熊を送って彼女を逃がし、イフィゲネイアはアルテミスの巫女としてここで生涯を終えたことになっていた。
イフィゲネイアは出産の守護者として女性から崇拝された。また、出産の床で死んだ女性の衣服はイフィゲネイアの墓に奉納されることになっていた。

残念ながら、私たちが訪れた2011年1月30日には遺跡は閉鎖されていた。上の写真は敷地の外から取ったもの。1月11日以降閉鎖と書いてあったが、いつ再開されるのかは明記されていなかった。
参照文献
- Robin Barbar, Greece (Blue Guide), London- N.Y. 2001 (Revised reprint of the 6th edition of 1995), p. 146-148.
- Christopher Mee & Antony Spawforth, Greece. An Oxford Archaeological Guide. Oxford/ OUP, 2001, p. 110-111.
- 博物館の案内
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