正教会の洗礼


 正教徒の両親の下に生まれた子供はほとんどが、生まれて六ヶ月目ぐらいに洗礼を受けます。洗礼はキリスト教徒として生まれるための儀式であり、キリスト教徒の生涯にとって大変重要です。理論的には、洗礼を受けていない人はキリスト教徒ではなく、死んだ後、天国に行くこともできません。

 この話をキリスト教に批判的な人にすると必ず、洗礼を受けることなく死んでしまった乳幼児は地獄に行くのかと聞かれます。私が聖職者に訊いてみたところでは、そういうことではないだろうとの答えでした。ただ、聖書にはっきりとした記述はなく、慈悲深い神が、罪のない子供を地獄に落とすことはないであろうという推測です。

 洗礼を授けることができるのは司祭か主教ですが、その他に名付け親(ゴッド・ペアレント、スポンサー)が必要になります。名付け親は、正教徒としての洗礼を受けている人であるというだけではなく、信仰を実行しており(つまり、教会に通っている人)、正教会とよい関係にある人でなければなりません。ギリシャでは、名付け親が子供とその家族にとって非常に重要な役割を果たし、肉親と同じような扱いを受けます。

 教会に連れて行かれた赤ん坊は、主教か司祭の手で水盤の中に三回漬けられます。カトリック教会での洗礼では赤ん坊に水を振り掛ける程度ですが、正教会では、ちゃんと水の中に漬けることが必要です。これは正教会が、キリストが洗礼者ヨハネによってヨルダン川に漬けられたのに倣って洗礼をおこなっているためで、このことを正教徒は大変誇りにしています。

 洗礼式には家族やその友人が大勢出席し、赤ん坊の新たな生を盛大に祝います。


 さて、それでは大人になって洗礼を受ける人の場合はどうでしょう。

 大人の場合は、カテキズムを受けてからでないと洗礼は受けられません。カテキズムというのは、ふさわしい導き手(普通は聖職者)のもとで、キリスト教とキリスト教徒としての生活について学ぶことです。週に一回通うとして、普通4から6ヶ月ぐらいが必要だそうです。

 その後、赤ん坊同様、名付け親と聖職者によって洗礼を受けます。ギリシャで洗礼を受ける場合はこうです。まず、教会を入ってすぐのところで、名付け親が洗礼志願者の名前(クリスチャン・ネーム)を聖職者に告げ、名付け親、洗礼志願者、聖職者は『信条』を読み上げます。ここで、洗礼志願者は聖職者から息を吹きかけられます。そして、祭壇の前に行き、名付け親は「ラバダ」と呼ばれる大きな蝋燭を手に持ちます。一連の儀式のあと、洗礼志願者は洗礼用の白い服(キトナ)に着替え、水とオリーブオイルの入った盥(盥の大きさは教会によって違うようです)の中で、三回座ったり立ったりを繰り返します。聖職者は、洗礼志願者の頭から水とオイルをかけ、名付け親は、洗礼を受ける人の頭や身体にオリーブオイルをこすり付け、洗礼志願者の首に十字架をかけます。それが終わると、「クリスメイション」の秘蹟に移ります。この時、聖職者はオイルがついた綿棒で、まだ盥の中にいる洗礼志願者の頭、首、両手、両脚に十字を切り、最後に髪の毛を少し切り取って、盥の中に投げ込みます。そして、洗礼志願者は、盥から出て、名付け親が用意した新しい服に着替えます。下着も靴も全て新しくなければなりません。着替えが終わると、洗礼を受けた人と名付け親は、聖職者と共に、洗礼を受けた盥の周りを回ります。これで、洗礼とクリスメイションの秘蹟は終わりです。洗礼とクリスメイションは普通同時に行われますが、すでに洗礼を受けたキリスト教徒が正教会に移る場合には、盥はなしで、クリスメイションだけが行われます。

 洗礼の後、盥に使うときに着た白い服は、海で一度洗ったあと、普通に洗って乾かします。洗礼の後、洗礼を受けた人は一週間(ただし、場所によってこの期間は違う)、風呂に入ったり、シャワーを浴びてはいけないと言われます。一週間後に身体を洗った時の水は、盥の中にためて、植物にやったり、海に流したりし、下水に流してはいけません。しかし、大人の場合は、一週間身体を洗わないのは困難なので、数日間で済ませる場合が多いようです。洗礼の時、名付け親がもっていた蝋燭「ラバダ」は、洗礼を受けた人が持ち帰り、三回聖体拝領を済ませた後で、教会に奉納します。洗礼・クリスメイションの後にかんするこうした規則は、教会ではっきりと決められたものではないので、多分に習慣的なもののようです。


 では、正教徒以外のキリスト教徒が正教会に入信する場合はどうでしょうか。現在、正教会は、「父と子と聖霊の名において」授けられた洗礼を有効と認めているので、もう一度洗礼を受ける必要はありません。正教会の教義や生活について一応の教育を受けた後、正教徒としての祝福(「クリスメイション」の秘蹟)を受けることによって正教徒と認められます。



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