皇帝ティトゥスの凱旋門
ティトゥスの凱旋門
『イタリアへの扉』ローマとラツィオ > ティトゥス帝の凱旋門

ティトゥス帝の凱旋門は、フォロ・ロマーノの東の外れに位置する。フォルム(=英語ではフォーラム)に面する側は、ほとんど一九世紀の修復であるが、反対側(写真にはこちらが写っている)にはオリジナルの碑文が残っており、Senatus / populusque Romanus/ divo Tito divi Vespasiani f(ilio)/ Vespasiano Augusto(ローマの元老院と人民より、神帝ウェスパシアヌスの息子、神帝ティトゥス・ウェスパシアヌス・アウグストゥスに)と読める。ローマにおいて、「神帝」の称号は死んだ皇帝にのみ与えられるので、この文章が作られたとき、ティトゥスは既に死んでいたことになる。このことから、この凱旋門は、ティトゥスが死んだ81年以降、彼の弟であるドミティアヌスの時代に建造されたものと考えられる(トラヤヌス時代の建造であるという説に関しては、Gordonを参照)。

飾り迫縁(アーキヴォールト)の上に見える、羽を生やし飛んでいる女性は勝利の女神。

ティトゥスの凱旋門
ティトゥスの凱旋門

もともとは、70年にウェスパシアヌスとティトゥスがユダヤ人に対してあげた勝利を記念するレリーフ(浅浮き彫り)で飾られていたが、現在ではほとんど残っていない。ローマ軍が神殿から七本の腕のついた燭台(ユダヤ教のシンボルとなっている)を持ち出す様子を描いた有名なレリーフは、この凱旋門のアーチの内側にある。

参考文献

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