オクタウィアのポルティクス
Porticus Octaviae
『イタリアへの扉』ローマとラツィオ > オクタウィアのポルティクス

[所在地] ローマ ラツィオ イタリア Via del Portico d'Ottavia Roma Lazio Italia

オクタヴィアのポルティコ  オクタウィアのポルティクスはマルケッルス劇場の北に位置する。キルクス・フラミニウス付近には、オクタウィウス、フィリップス、オクタウィアの三つのポルティクスがあったが、見える部分が残っているのはこれだけである。幅100メートル、奥行140メートルほどの大きさがあった。

 もともとこの場所には、クイントゥス・カエキリウス・メテッルス・マケドニクスが前146年に着工したメテッルスのポルティクスがあった。そしてその内部には、前179年にマルクス・アエミリウス・レピドゥスが建てたユノ・レギナ神殿と、メテッルスが前131年に建てたユピテル・スタトル神殿があった。このユピテル神殿は、ギリシャ人の建築家サラミスのヘルモドロスによって設計された、ローマで初の総大理石神殿であった。

Octavia's Portico
 前33年と前23年の間に改築工事が始まり、アウグストゥスの姉で、マルケッルスの母であるオクタウィアの名が冠された。セウェルス朝時代のローマ地図によると、ポルティクスの内部には、後陣の建物があったことが分かる。これはおそらく、図書館を併設されたCuria Octaviaeであろうと考えられる。

 このポルティクスは、80年の火災のあと修復され、その後も、恐らくコンモドゥスの治下191年に起きた火災で被害を受けたあと、セプティミウス・セウェルスによって修復されている。現存しているのは、この時代のもの。入り口のプロピュライオンと、その近辺の列柱が残っている。アーキトレーヴに用いられている大理石はペンテリコン産であるのに対し、柱頭にはルナ産大理石が使われている。

 門のアーキトレーヴに残る碑文(もともとあったフリーズを削り落としてから、彫られている)から、203年、火災の後でセプティミウス・セウェルスとカラカッラが改築したことがわかる。もともと、四本のコリント式円柱が立っていたが、左の二本だけが残っており、右側は中世にレンガのアーチに取り替えられた(一番上と二番目の写真を見よ)。

 八世紀に教会(現在はサンタンジェロ・イン・ペスケリア (Sant'Angelo in Pescheria)教会、かつては「競技場横のサン・パオロ教会」と呼ばれていた)の入り口として転用された。

参考文献

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