ラクス・クルティウス
Porticus Octaviae
『イタリアへの扉』ローマとラツィオ > ラクス・クルティウス

[所在地] フォロ・ロマーノ ローマ ラツィオ イタリア Foro Romano Roma Lazio Italia

ラクス(池)とはあるが、水はなく、大理石で覆われている。

この場所に関してはいくつかの伝説がある。一つの説は、もともとこの場所は沼地で、ローマ人とサビニ人が戦争をしていたとき、サビニ人の指揮官メッティウス・クルティウスが馬ごとこの沼に飲み込まれたためこう呼ばれるようになったというもの。もう一つの説は、ローマ人のマルクス・クルティウスという人物が、神託に従ってここに身を投げ、人身御供になったというものである。さらに、ウァッロが伝えている説によれば(De lingua Latina, V, 150)、前445年のコンスルガイウス・クルティウスが、元老院の決議に従って、雷が落ちた場所を囲い込んだことに由来する。

1553年、この近くでギリシャ産大理石のレリーフが発見された。そこには、メッティウス・クルティウスが地の裂け目に飲み込まれる様が刻まれている。オリジナルはカピトリーニ美術館に収蔵されているが、フォルムに置かれたその模型は上の写真でも確認できるだろう。その裏には、L. Naevius L.f. Surdinus pr(aetor)(「ルキウスの息子であるルキウス・ナエウィウス、スルディヌス、法務官」)という碑文が刻まれている。スルディヌスは、前9年頃のpraetor inter cives et peregrinos(市民外人間訴訟担当法務官)で、彼はこのレリーフ(とこれが一部をなしていた何らかのモニュメント)をつくらせただけではなく、フォルムの床を舗装したことがフォカスの記念柱近くに残る青銅の碑文から知られている。

参考文献

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