ユリウスのバシリカ
バシリカ・ユリア
『イタリアへの扉』ローマとラツィオ > ユリウスのバシリカ

[所在地] フォロ・ロマーノ ローマ ラツィオ イタリア Foro Romano Roma Lazio Italia

カストルの神殿とサトゥルヌスの神殿の間に位置する、長さ107メートル、幅61メートル(これはClaridgeのデータで、Coarelliは、それぞれ101メートルと49メートルWard-Perkinsは、105 x 46メートルとしている)のバシリカ。現在はほぼ床の部分しか残っていない。

建築を始めたのはユリウス・カエサル(Coarelliは、前54年には既に着手されていたかもしれないとする)で、前46年、未完成のまま、一旦落成式を祝っている。これを前14年(Ward-Perkinsによれば前12年ごろ)に完成させたのはアウグストゥス。しかし、間もなく火災で焼失したため(前9年)、アウグストゥスが約20年をかけて再建し(cf. Augustus, Res Gestae, 20)、後12年に、既に死去していたガイウス・カエサルとルキウス・カエサルの名で落成式を祝った。後283年にカリヌスが引き起こした火災の後、ディオクレティアヌス時代に再び再建された。

南西側(フォルムの反対側)だけが壁になっており、その外の三方は開いている。南西側には二列の、その外の側面には三列の列柱がめぐっている。

プラクシテレス、ポリュクリトス、ティマルコスの作品が置かれていた台座が残っているが、これらの作品がいつ運び込まれたかについては議論がある。Claridgeは、377年か416年の首都長官ガビニウス・ウェッティウス・プロビアヌスがバシリカを修復した時に運び込んだのだとするが、Coarelliは、ポリュクリトスとティマルコスの作品が運び込まれたのはセウェルス朝時代、プロビアヌスは416年の首都長官で、アラリックの掠奪による被害を修復し、もう一つの銅像(プラクシテレスのものとは述べていない)を運び込んだのだと述べている。

百人法廷(主として遺産相続の問題を裁く法廷)はこのバシリカで開かれた。

参考文献

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