ウェスタのアトリウム
Atrium Vestae
『イタリアへの扉』ローマとラツィオ > ウェスタのアトリウム

フォロ・ロマーノの南側に位置する、ウェスタの巫女たちの邸宅(Coarelliは、Atrium Vestaeとは、ウェスタ神殿とウェスタの巫女の邸宅を合わせた複合建造物の名称であるとしているが、ここでは便宜上、神殿と邸宅を区別する)。ウィア・ノウァを隔てた南側は、パラティヌス丘の皇帝宮殿。
ヴェスタのアトリウム ペリステュリウムをもつ長方形の中庭とそれを取り囲む建物からなる。中庭には巫女長(virgo vestalis maxima)の像が並べられていた。台座に残る碑文から見ると、全てセプティミウス・セウェルスの治世末期以降のものである。庭を囲む列柱廊つき建物は二階建てであった。

おそらくドミティアヌスが建造を始め、トラヤヌスが113年ごろに完成させた。その後、セプティミウス・セウェルスの時代に改装が行われた。

この建物ができる以前には、前二から一世紀に建てられた建物があり、現在の敷地の西側(ウェスタ神殿より)だけを占めていた。東側には大神官Pontifex Maximusの公邸Domus Publicaがあったが、前12年アウグストゥスはこれをウェスタの巫女たちに寄贈した。

ウェスタの巫女の起源は恐らくローマ王政時代にまで遡る。共和政樹立以降、巫女は、両親ともに生存している六歳から十歳の少女の中から選ばれ、Pontifex Maximusによって任命された。定員は六人で、任期は三十年。在任中には純潔を誓わねばならず、誓いを破ると生埋めにされた。その役割は、聖なる炎を守ること、聖具の管理、儀式で使われるパンを焼くこと、さまざまな典礼・儀式に参加することであった。その代わりに、自らの財産の管理を許される(すなわち、父権から解放される)こと、市内で乗り物を使用できることなどさまざまな特権を享受した。

Shrine
ウェスタ神殿の東側、ウェスタのアトリウムの入り口との間に、もともとは二本のイオニア式円柱に支えられた小さな社がある(現在残っている円柱は一本だけ、柱頭だけがオリジナルで、トラヴェルティーノ岩の円柱自体は現代の復元)。フリーズ部分に碑文が残っており、元老院決議によって国費で建設されたと記されている。レンガの押印から、ハドリアヌス時代のものであることが分かる。ここにウェスタの像が置かれていたと考える者もいるが、形状からして、ラレス神を祀るcompitumであったという説もある。

四世紀の終わりに、異教崇拝に対する国庫からの支出がとまると、ウェスタ制度も廃止されたに違いない。その後は、皇帝とその関係者が利用したようで、六世紀にも修復が行われている。埋葬された死体も見つかっているが、いつの時代のものかがはっきり分からない。

参考文献

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