床に海神ネプチューンが白黒モザイクで描かれているためこの名前がある。ドミティアヌス帝によって最初に建造され、その後、ハドリアヌスとアントニヌス・ピウスが再建している(後139年)。(ただし、Ward-Perkins, infra,はハドリアヌスの建造としている)。二世紀の終わりに、オスティアで最も有名な有力家族の一つに属する人物、ルキッリウス・ガマラ・ユニオルが修復を行った。最後の修復は四世紀終わり。
有名なネプチューンのモザイクは後140年ごろの作品。フロアの広さは、幅18.10メートル、奥行10.40メートル。ネプチューンは四頭の海馬に引かれているが、海馬が牽いているはずの車は省略されている。その周囲には、海獣の背に乗ったネレイデ、海ケンタウロス、人間の男性、イルカの背に乗ったキューピッド、イルカ他、さまざまな海の生き物が描かれている。
この浴場の入浴施設は東側、西側は運動場(パラエストラ)になっている。そして、道路に面した南側は商店になっている。これは、ポンペイでも見られるタイプの構造である。
パレストラ(運動場)は、浴場自体よりも前に建設された。三方を列柱廊で囲まれており、地下には貯水槽が備えられている。