Gate to Greece: http://www.mesogeia.net

ギリシャの歴史

5 ローマ時代


 前146年、マケドニアで反乱が起きると、ローマは北部ギリシャを直接支配下に入れ、属州化した。そして同じ年、アカイア同盟との戦争に勝利すると、ギリシャの都市も、マケドニアにいるローマ総督の監督下に置いた。前130年ごろローマ人が建設したイグナティア道は、アドリア海岸とマケドニアを結ぶもので、ギリシャ北部のフィリッピを通っている。道路は、ローマの支配にとって欠かせないものだった。

 前88年から86年、ポントスのミトリダテス六世がローマと戦った時には、アテネを含むいくつかのギリシャ都市がミトリダテスに味方した。当初、ミトリダテスの将軍アリスタルコスは、ギリシャの大部分を制圧したが、ローマの将軍コルネリウス・スッラが、アテネ、ピラエウス、カイロネイア近郊、オルコメノスでの重要な戦いで勝利を挙げ、ギリシャからポントス勢力を排除した。

 前27年、アウグストゥスは、これまでマケドニアの総督管理下に置かれていたギリシャをアカイア属州として分ける。アカイア属州は、中部ギリシャ、ペロポネソス半島そして周辺の島を含み、首都はアテネではなく、コリントスであった。アウグストゥスはまた、エピロスにニコポリスを創建した。

 コリントに残るロストラ(演壇)とオリンピアに残る総督宮は、両方ともアカイアのプロコンスル(=総督)が使ったもの。

 カエサルとアウグストゥスは、ローマ軍の退役兵にギリシャの土地を与えた。パトラス、コリント、フィリッピの周辺がその中心で、彼らはローマ文化ををギリシャに持ち込んだ。

 ギリシャはキリスト教が最も早く伝わった地域の一つで、聖パウロはフィリッピとコリントにキリスト教共同体を組織し、アテネでも布教した。あまり連想しないが、新約聖書にある「コリント人への手紙」や「ピリピ人への手紙」は、この時代のギリシャのコリントとフィリッピのキリスト教徒に宛てられている。

 ハドリアヌスの時代までには、アケロオス川以西の中央ギリシャがエピロス属州として分割され(首都はニコポリス)、テッサリアはマケドニア属州に併合された。

 ローマ皇帝がギリシャを訪れることはほとんどなかったが、ネロとハドリアヌスは特にギリシャを愛した。ネロは66年から68年の間ギリシャに滞在した。特にハドリアヌスによる建築事業の跡はアテネにいくつも残っている(ハドリアヌスの図書館ハドリアヌスの記念アーチオリンピアのゼウス神殿など)。

 一世紀から二世紀にかけて多くの著作を残し、とりわけ『対比列伝』(『ギリシャ・ローマ英雄列伝』とも呼ばれる)で有名なプルタルコスは、カエロネイアの人。二世紀後半、ギリシャ各地を旅行したパウサニアスは、歴史、遺跡、逸話などを記録し、当時のギリシャの様子をする上で貴重な史料となっている。

 ローマに支配されていた時代、ギリシャにはローマの文化や生活様式が流入した。剣闘士競技・猛獣競技やローマ風の公共浴場がその例である。建築においては、モルタルを混ぜた砂利(一種のコンクリート)、レンガ、多色大理石による装飾の使用がこの時代に特徴的。


戻る

copyright notice