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ギリシャの歴史

7 ビザンツ時代



 805年(もしくは807年)、アラブ人に援助されたスラブ人がパトラスを包囲するが、奇跡的に最悪の破壊を逃れた。
826(823?)年には、エジプトに避難していたスペインのアラブ人がビザンツ領だったクレタ島を略奪、次の年、アブ・ハフス(Abu Hafs)の指揮の下、クレタに戻って来て、完全に制圧した。
 879年ごろ、クレタ島のイスラム教徒がペロポネソス半島に攻撃を仕掛けたが、ドロンガリオスのニケタス・オオリュファス(Niketas Ooryphas)によって撃退された。クレタ島は、961年にニケフォロス・フォカス(963年から969年のビザンツ皇帝)が再征服するまで、アラブ人の支配下に留まった。

 九世紀の半ば、プロトスパタリオスであったテオクティストス・ブリュエニオスが、アラブ人に脅かされていたギリシャに遠征し、ペロポネソス半島を取り返した。

ビザンツ時代中期

 ビザンツ時代中期、現在のギリシャに相当する領域は6つのテマに分けられていた。ストリモン(Strymon、現在のトラキ地方に相当)、ヘラス(現在のヴィオティアとアッティカに相当し、首都はテーベ)、ニコポリス、エピロス、ペロポネソスである。ヘラスとペロポネソスは十二世紀に併合された。

 シチリアと南イタリアを制圧したノルマン人は、ギリシャにも手を伸ばした。彼らは、1081年から1084年にかけてコルフを占領し、また、ラリッサ、テッサリアまで攻撃を仕掛けた。1146年から翌年の侵略では、ノルマン人のシチリア王ルッジェーロ(ロジャー)二世がモネンヴァシアを攻撃した後、テーベとコリントスを略奪した。この時ノルマン人は、絹職人を連れ去って、シチリアのパレルモに定住させた。

 ビザンツ帝国はヴェネツィアの力を借りてノルマンの脅威を逃れようとするが、やがてヴェネツィアも脅威となったので、さらにアマルフィ、ジェノヴァ、ピサと通商条約を結んで、ヴェネツィアを牽制する(十二世紀)。

 ギリシャの島々はしばしば海賊からの攻撃をうけ、海賊の根城となってしまう島もあった。

ビザンツ時代末期

 ビザンツ時代末期、コンスタンティノープルの皇帝権力が弱まると、ギリシャではレオン・スグーロスという人物が台頭する。スグーロスは、「アルコン」と呼ばれることもあるが、基本的には独立した成り上がりの支配者で、ナフプリオが本拠地だったが、それ以外の地域にも勢力を伸ばした。1204年の初め、アルゴスとコリントを手にした彼は、アテネをも攻撃し、その居住区を破壊した。スグーロスは、さらにテーベを占領、ラリッサまで北上してきたところで、コンスタンティノポリスから落ち延びてきたビザンツ皇帝アレクシオス三世アンゲロスと出会う。スグーロスは、皇帝の娘エウドキアと結婚し、自らの権力の正当化を図った。

 1204年の夏、モンフェラ(南フランスの町Montferrat)のボニファスがギリシャ北部にやって来て、テッサロニキ王として一帯を支配する。スグーロスは戦うことなく、コリントまで南下し、アクロコリントスに陣取った。ボニファスの軍は四年間アクロコリントスを包囲し続け、1208年、絶望したスグーロスはついに自殺を遂げた。

パレオロゴス・ポリュフェロゲニトス
最後のビザンツ皇帝パレオロゴス・ポリュフェロゲニトスの像。アテネのミトロポリス広場に像が立っている。


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