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アテネの歴史

11 ギリシャ王国


 独立直後のギリシャは荒廃、疲弊しており、アメリカからの食糧と衣料援助で飢えと寒さを防ぐような状態であった。戦争直後にアテネを訪れた外国人は、その貧しさと、荒廃ぶりに驚いている。戦争が始まった時には2,000軒あった家屋のうち、まだ使える状態なのは150軒ほどに過ぎなかった。その家屋にも、ストーブや窓ガラスはなく、人々は家の外で料理をしていた。学校や病院もなく、それらを建てる建材もなかった。アテネを視察したCleanthesとSchaubertは、ナフプリオンの臨時政府に、アテネにあるほとんどの家屋は荒廃しており、100以上残っている教会もほとんどが使われておらず、4つあったモスクのうち使われているのは二つで、残りの二つは浴場になっていると報告している。

 アテネがこのような状況であったため、最初、ギリシャ王国の首都の候補とは考えられていなかった。候補に挙がっていたのは、ナフプリオン、コリント、アルゴス、シュロス、トリポリス、メタナ、ピレアスなどである。しかし、1832年になって、アテネの名が急浮上する。ギリシャの新国王オットーと、彼の父親であるバイエルン王国のルードヴィヒ一世はこの案を熱心に支持し、オットーは、バイエルン軍がアクロポリスに入ってから四十日後にアテネを訪れ、市民から熱狂的な歓迎を受けた。しかし、オットーがアテネに居を定めるのは、それから一年半後、1834年10月に、アテネをギリシャ王国の首都、王の都とをする法令が発布されてからのことである。同じ月のうちにオットーはピレアスに上陸し、テセイオンの聖ゲオルギオス教会で、感謝のミサに出席した。

 その二ヵ月後、政府がナフプリオンからアテネに移動し、12月13日、ギリシャ国会議員がピレアスに到着した。しかし、アテネの荒廃ぶりは、それほど改善されていたわけでなく、住居が圧倒的に不足していた。また、家屋を無理やり接収されたアテネ市民の間にも不満が募っていた。家賃は上がり、食糧価格も上昇した。

 最も早いうちにアテネに定住した外国人の中には、元義勇軍のサー・リチャード・チャーチ将軍とジョージ・フィンライがいた。また、アメリカの宣教師ジョン・ヒル牧師は女学校を開き、また、外国からの訪問者を家に迎え入れた。アテネに最初に開業したホテルは、イタリア人の義勇兵と彼のウイーン出身の妻が営業するもので、ここは外国人の集合場所となった。

 独立最初の数年間のうちにアテネとピレアスは急成長を遂げた。1834年には家一軒と八件の商店があるだけだったピレアスには、数年後、450軒の石造りの家が立ち、2275人の人口を擁していた。また、アテネとピレアスを結ぶ道路も整備された。

 アテネには、エルムー通、アティナス通、アイオルー通が整備されたが、都市計画といえるものはこの三本の通りだけで、あとは、人々が勝手に家を立てるままにされた。

 1837年には、アテネ大学が開校する。最初に開かれたのは、神学部、医学部、法学部である。

 1862年、オットーは廃位される。オットー自身は、ギリシャ人の間で一定の人気を維持していたが、彼が連れてきた、カトリック教徒で、傲慢な大臣や補佐官たちは、最初からギリシャ人に人気がなかった。特にギリシャの政治家は、当然のことであるが、彼らを嫉み、敵視していた。

 ギリシャ王国の政府に批判的な者の中には、独立戦争の英雄ヤンニス・マクリヤンニスがいた。彼は、王国政府が、トルコとの戦いに何の貢献もしていない人物に金と官職を与え、ギリシャのために戦った戦士たちを見捨てたと不満を公にした。しかし、彼のキャンペーンは功を奏さず、1836年に引退した。ところが、その数年後、王に対する陰謀に加担したという疑いをかけられ、18ヶ月間投獄される。それまで文盲だった彼はその間に読み書きを覚え、回想録を残すことができた。

 サー・リチャード・チャーチもまたオットーとバヴァリア出身の行政官たちの犠牲となった。彼は、戦争から何の利益も得なかったにもかかわらず、困っているギリシャ人の家族や元兵士に惜しげもなく私財を与えた。一時期、国家評議会のメンバーだったこともあるが、1834年の終わりごろには職を追われている。1873年に死去した時には、ギリシャ人が彼のために記念モニュメントを建てた。ジョージ・フィンライは、独立戦争が終わると共に、アルメニア人の妻と子供を伴ってアテネにやって来たが、やはりオットーのバヴァリア人政府には批判的であった。

 オットーの政府はいつまでもギリシャに、約束されていた憲法を制定することをせず、独裁的な支配を続けたので、1843年、ギリシャ人の不満はついに爆発し、独立戦争を戦ったギリシャ人の軍人と政治家による無血クーデターに発展した。その中にはマクリヤンニスの姿もあった。オットーは、バヴァリア人の行政官たちを解任し、国会を召集、憲法を制定することを受け入れさせられた。


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