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ディオニュソス劇場

Theatre of Dionysos

<場所> ギリシャ アッティカ アテネ

 アクロポリスの南側のふもとに位置する劇場。「ディオニュソス劇場」の名称は、客席最前列中央の椅子に「ディオニュソス・エレウテリオスの神官のための椅子」という碑文が刻まれていることによる。ディオニュソス・エレウテリオスという名称は、ディオニュソス神が、エレウテライの町からアッティカに入ったことに由来する。

 この劇場の歴史はよく分かっていない。前六世紀の終わりには既にこの場所に劇場があったようであるが、もっと質素な木造建築物だった。四世紀の末に、アテナイの政治家リュクルゴス(前390頃〜324年)が石造りの劇場を完成させたが、建築が始まったのはもっと前だったらしい。リュクルゴスは、古典期アテナイの理想を復活させるため、前五世紀の偉大な劇作家アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの像を劇場に立てさせ、彼らの劇作を上演させた。以降は大ディオニュシア祭もここで催されるようになった。

 客席前列とステージの間に仕切りが設けられたのは、ここで剣闘士競技がおこなわれたという後一世紀のことかもしれない。板の間は防水材でしっかりと固められているので、水を使った見世物にも耐えるようになっていたようだ。ステージに色石で菱形が描かれたのもローマ帝政時代。ネロ帝時代、54年から61年に、scaenae fronsの改築がおこなわれた。舞台後部の壁にあるフリーズは後二世紀頃のもの。

 観客席は64列(67との説もある)で、13のセクションに分けられた。その後、さらに上に14列が付け加えられ、その時点で収容人数は15,000から17,000人ほどだったろう。

 劇場の東側にはペリクレスが建造したオデイオンもあったのだが、これは、前一世紀前半に起きたミトリダテス戦争の包囲戦の際に破壊された。同じ世紀の後半、カッパドキア王アリオバルザネス二世が、ガイウスとマルクス・スタッリウス兄弟、そしてメラニッポスという建築家に再建させたことが碑文から知られている。しかし現在ではほとんど何も残っていない。

 ディオニシオス劇場の発掘調査は1838年に始まり、1862年から67年の調査にはドイツの建築家I.H.シュトラックが加わった。監督にはギリシャの考古学者A.S.ルソプロスとドイツ人の建築家エルンスト・ツィラーがあたった。1882年から1895年の発掘調査はドイツ考古学協会が行い、建築家W.デルプフェルトが指揮した。

参考文献


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