オリュンピエイオン

Temple of Olympian Zeus

<場所> ギリシャ アッティカ アテネ


[別称] オリュンペイオン Olympeion オリュンピアのゼウス神殿 Temple of Olympian Zeus

ギリシャに存在する中では最大の神殿。後方に見えるのはアクロポリスのパルテノン神殿。この近くには、テミストクレス時代の市壁、ローマ時代の浴場、ハドリアヌスのアーチなどいくつかの遺跡が集まっている。

この場所におけるゼウス崇拝の歴史は古く、現在立っているものの下に、前590-560年ごろのものと見られる、ドーリア式神殿の跡が見つかっている。

巨大神殿の建築を始めたのは僭主ペイシストラトスの一族で、前520年ごろのこと。その大きさは、以前に立っていたものの二倍で、列柱は二重になっていた。エフェソス、サモス、ミレトス近くのディデュマにあった巨大なイオニア式神殿に触発されたらしいが、こちらは、セリヌスやアクラガスの神殿と同じドーリス式であった。僭主政の崩壊(前510年)で工事は中断し、建材の一部は前五世紀の初めに造られたテミストクレスの市壁に流用されている。

古典期に工事は再開され、クレピス(石段つきの基台部分でクレピドマとも呼ばれる)とセコス(神殿円柱内部の建造物)はこの時代(前五世紀から前四世紀)に建造された。

前174年、セレウコス朝シュリアのアンティオコス四世エピファネース王(前175-164年)は、同じ基台の上に全く新しい神殿を建て直すことを決意し、ローマの建築家デキムス・コッスティウスを雇い入れた。アンティオコスの神殿は、見取り図自体はペイシストラトス時代のものと同じであるが、後者がドーリス式であったのに対し後者はコリント式、前者がポーロス産の石を使っていたのに対し、後者はペンテレー産大理石を用いていた。王が死んだとき神殿はまだ未完成だったが、現存する円柱は一本を除いて全てこの時代のものなので、かなり工事は進んでいたものと見られる。

神殿の長さは約110メートル、幅は43メートル程。神殿の前後には8本の円柱が三列ずつ、側面には20本の円柱が二列ずつが並び、円柱の総計は104本にのぼった。ファサードのもともとの高さは27.4メートル程度と推定されている。

その後、アウグストゥスと同盟王たちが工事を継続し、現存する柱の一本が、この時代に属すると考えられている。

工事を完了させたのはローマ皇帝ハドリアヌスで、131年の冬に奉献式を祝った。この皇帝を祀った祭壇も置かれ、アテナイにおける皇帝崇拝の中心となった。

最近の研究では、帝政期に造られたのは主として境内、進入路、金と象牙でできた巨大なゼウス像であったことが明らかになっている。従って、神殿自体はほとんどヘレニズム時代のものである。「オリュンピアのゼウス神殿」の名前は、ハドリアヌスがつくらせた、金と象牙のゼウス像がオリュンピアのゼウス神殿にあったもののコピーであったことに由来する。

参考文献


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