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パルテノン神殿
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<所在地> ギリシャ アッティカ アテネ

アクロポリスにある、アテナイ市の守護神「処女」アテナを祭った神殿(Parthenosとはギリシャ語で「処女、未婚女性」の意味)。かつてこの中には、フェイディアスが金と象牙でつくったアテナ・パルテノス(処女神アテナ)像をはじめ、貴金属の奉献物などさまざまな財宝が収められていた。

この神殿建築に着手したのは、アテナイ黄金時代を代表する政治家ペリクレス。建築は前447年に始まり、前438年に奉献されたが、工事は432年まで続いた。建築を手がけたのはイクティノスとカッリクラテス。

アクロポリスのアテナ神殿はこれが最初のものではない。アテネが王政から貴族制に移行してゆく頃、前1000年から前八世紀の間のいつかに、小規模なアテナ神殿が建てられた。中には、空から降ってきたと信じられていた木製のアテナ像が祭られていた。パナテナイア祭で、ペプロスを着せられ、行列に使われたのはこの木製神像。
前六世紀の初め頃、この小さな神殿はより大きく建て直され、木製のアテナ像はここに納められた。建材にはポーロス石が使われた。前六世紀後半、ペイシストラトスの時代に改装され、大理石の装飾が施された。この神殿は、前480年ペルシャ人によって破壊され、ペルシャ戦争が終わってから再建された。しかし、前406年の火災で被害を受けたため、木製のアテナ像はエレクテイオンのアテナ・ポリアス神殿に移された。その後この神殿が立て直されたかどうかは明らかでない。
ペルシャ軍を破ったマラトンの戦いの後、アテネ人は、新しいアテナ神殿を建て始める(「旧パルテノン」と呼ばれる) 。建材にはペンテリコン大理石が使われた。しかし、480年、ペルシャ軍がアテネに攻め込んだ際、アクロポリスはほぼ完全に破壊され、新たなアテナ神殿建築は完成することなく終わった。現在、アクロポリス博物館に収められているアルカイック期の彫刻は、ペルシャ軍によって破壊された神殿の装飾か、神殿への奉納物である。ペルシャ軍による破壊の後すぐに神殿の再建がおこなわれなかったのは、プラタイアの戦いの際、アテネ人が、ペルシャ人に破壊された神殿は再建しないという誓いを立てていたためだといわれるが、真偽は定かでない。

現在立っているパルテノン神殿は、ペリクレスがフェイディアスを監督に任命して建てたもので、建築は前447年に始まり、約15年で完成した。フェイディアスは総監督と彫刻を担当し、設計には建築家であるイクティノスとカリクラテスが当たった。この神殿はドーリア式であるが、二つのケラ(内陣)があるため、この様式としては例外的に17本の円柱が側面を支えている(普通は13本)。前・後面の柱は8本。外側に立つ円柱の高さは10.43m.で、オリュンピアにあるゼウス神殿と全く同じ。意識的に一致させたものだろう。神殿の内部には四本のイオニア式柱が用いられている。

パルテノンの彫刻はフェイディアスの担当だったが、アゴラクリトス、アルカメネスら他の彫刻家たちも協力した。

古代末期になって、パルテノンに納められていた金と象牙でできたアテナ女神の像とプロピュライアとパルテノンの間のどこかにあったアテナ・プロマコスの青銅像(両方ともフェイディアスの作品)は、コンスタンティノポリスに移された。その後、前者は火災で、後者は1204年の第四次十字軍の攻撃で破壊されたという。金と象牙のアテナ像は、ヘルリ人による略奪の際に消失したという説もある。

ビザンツ帝国時代には聖処女マリア教会として、ラテン人の支配時には「ノートル・ダム(=聖母マリア)」教会として使われた。教会に転用されたのが五世紀なのか、六世紀なのかについては研究者の間で意見の一致を見ていない。トルコ占領時代、1460年代の前半以降はモスクとして使われ、ミナレットが付け加えられた(これは現在、下の部分だけ残っている)。

1686年、ヴェネツィア、ローマ、アウストリア、ポーランドの同盟軍がオスマントルコに宣戦、1687年、ヴェネツィアのフランチェスコ・モロシーニ率いる同盟軍がアテネを攻撃する。この時トルコ軍は、まさかキリスト教徒が元教会だった建物を攻撃することはあるまいと、パルテノンに武器弾薬を貯蔵していた。しかしモロシーニは、9月24日、アクロポリスを砲撃することを命じ、そのうちの一発がパルテノンに落下、貯蔵されていた火薬に引火して爆発し、パルテノンは二日間燃え続けた。この爆発と火事で、パルテノンは計り知れない被害を受けた。

その後トルコ人は、パルテノン神殿の中にモスクを建て直した。屋上屋を架す状態で、それまでに屋根がほとんど破壊されていたことが推し量られる。このモスクは、ギリシャが独立した後に取り壊された。


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参考文献

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