エレクテイオン Erechtheion
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<所在地> ギリシャ アッティカ アテネ

 本来アテナ・ポリアス(=ポリスのアテナ神)の神殿であったが、同時にポセイドン、ヘファイストス(かゼウス)、エレクテウス王とその兄弟ブーテスらが祀られてもいた。エレクテイオンの名は、アテナ女神の養子で、青銅器時代にアテネの王であった英雄エレクテウス(もしくはエレクトニオス)がここに祀られていたことに由来する。しかし、この神殿がこの名前で現れるのはローマ時代の史料(パウサニアスとプセウド・プルタルコス)にだけで、もともとは別の名前で呼ばれていた可能性が高い。409/8年の公文書(碑文)は「古い(アテナ)像があるアテネ市の神殿」と呼び、アテネ財務官の文書とストラボンは「(アテネ)ポリアス神殿」、「古い神殿」と呼んでいる。

 もともとここにあったアテナ・ポリアス神殿はペルシャ人によって破壊された。現在立っている神殿の建築は前421年に始まり、415年のシチリア遠征の再中断した後、410年に再開し、406/5年以前に完成した。建築家は恐らく、プロピュライアを手がけたのと同じムネシクレス。完成直後に起きた火災で損害を受けた後、前395年以降に修復された。

 イオニア式の神殿で、フリーズがエレウシス産石灰石でできている他は、白色のペンテリコン大理石で造られている。

 一見して分かるように、古代の神殿としては極めて異例な形状をしている。中心となるイオニア式の神殿は、パルテノン神殿同様前後に分けられており、東側(ファサード側)にはアテナ・ポリアスが、西側の部分にはエレクトニオス(後にポセイドンと同一視される)が祀られた。エレクトニオス神殿の入り口として、北側にポーチが設けられている。

 南側には、女性の形につくられた六本の柱が支えるポーチがある。これらの群像はカリュアティデスと呼ばれるが、アテナ像のために衣を織るアレフォロスたちを表しているのかもしれない。現在、エレクテイオンに設置されているカリュアティデスはレプリカで、オリジナルはアクロポリス博物館に収蔵されている。このポーチの下には、アテネの伝説的な王ケクロプスの墓があった。

 前406年に起きた火災で、古いアテナ神殿(現存しない)が破損すると、古くから信仰の対象だった木製のアテナ像がここのアテナ・ポリアス神殿に移された。その意味で、エレクテイオンは古いアテナ神殿の後継者と言える。

 前一世紀に起きた原因不明の火災で一部が破損したが、同じ世紀のうちに修復された。

 七世紀、教会に転用され、アテネがトルコに占領されてからは、トルコ人指揮官のハーレムとして使われた。こうした転用のため、内部が最初どのような使われ方をしていたのかは分からなくなってしまった。

 ギリシャの独立後、1903年から1909年にかけて修復工事が行われた。

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参考文献

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