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アクロポリス
アクロポリス
『ギリシャへの扉』アテネアテネの見所> アクロポリス

<所在地> ギリシャ アッティカ アテネ

アクロポリスとは「高み」という言葉と「町」という言葉が合わさってできた複合語で、「町の高い所」もしくは「上の方の町」というのが元の意味。ギリシャの古代都市はしばしばこのような高みがあるような場所やそのふもとに栄えた。
 アテネのアクロポリスは、海抜156メートルの高さがある。

北側から見たアクロポリス
 ギリシャ都市のアクロポリスはしばしば、その町の守護神を祭る場所となるだけではなく、要塞としての機能を有していた。アテネのアクロポリスにもやはりアテナ女神を祀った神殿があり、また、周囲には防衛壁がめぐらされている。

アテネのアクロポリスが最初に防衛壁で囲まれたのは、青銅器時代後期である前1250年ごろ。この頃、アテネの王テセウスが、アッティカ諸都市を勢力下にいれ、アテネが首都としての地位を確立したらしい。当時、アクロポリスは支配者が居住していた場所であり、ここでのアテネ・ポリアス崇拝はこの時代に遡るとはいえ、アクロポリスの宗教的な意味は二次的なものだった。この時代に建設された防衛壁は、巨大な石をごろごろ積み上げたスタイルで、高さが8メートルあった。まるで巨人が造ったかのようだったため、「キュクロプス(巨人)の壁」と呼ばれる。壁の内側には王の宮殿があったのではないかと考えられているが、後の神殿建築のため、この時代の建物の形跡はほとんど残っていない。

UNESCO世界遺産
アクロポリスはUNESCO世界遺産に指定されている
 紀元前八世紀、ミケーネ時代の支配者が住んでいた宮殿の跡に、アテネ・ポリアスを祀った小規模な神殿が造られた。

 前566/5年に初めて祝われた大パナテナイア祭では、祭の行列の終点がアクロポリスのアテナ神殿だった。

 アクロポリスに現在残る主要なモニュメント、パルテノンとプロピュライアはペリクレスがアテネの指導者だった時代に、彫刻家フェイディアスに建築総指揮を任せて造られたもの(エレクテイオンアテナ・ニケ神殿はそれより少し後の建築)。その建築にはデロス同盟の資金が流用されたため、アクロポリスはアテネの「帝国主義」のシンボルでもある。

アクロポリスには、古代以降も、ビザンツ時代、十字軍時代、オスマントルコ時代を通じ様々な建築と破壊が繰り返されたのだが、ギリシャが独立した後、バイエルン人が主体となった新ギリシャ政府が古代の建造物以外のものを全て取り除いたため、現在のような状態になっている。アクロポリスの地表がつるつるの石になっているのは、石が露出するまで徹底的に発掘を行ったためである。こうした中で最も重要な発掘は、1885年から1890年までギリシャ人カヴァディアス(Kavvadias)とドイツ人カウェラウ(Kawerau)が行ったもの。

参考文献


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